私的領域の調和

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息子は小学6年生になり中学校の事を考えるようになってきた。

 

「部活は何がしたい?」と聞くと特に無いと言う。

 

志摩中学校は運動部が中心でいずれかの部に強制入部になるらしい。

 

どちらかと言うと運動は苦手なタイプだ。iPadで絵を描いたり、詩を書いたり、GarageBandガレージバンド)アプリで曲を作ったり、気になった時事問題を調べている。体を動かすのが苦手な分、頭の運動は好きな方だと思う。

 

文部科学省の「部活動指導の在り方について」では「部活動は生徒の自主的、自発的な参加により行われる」とされ「任意での活動で義務教育では無い」としている。

 

最終的な判断は学校に委ねられ、志摩中学校ではいずれかの部活に入る事になっています。先生への負担が多いと騒がれ、他方では自主的な参加を推薦しつつ、現場では強制と、どうもおかしな状態が続いているようです。

 

日本の教育政策の原点は「家庭が原点、全ての教育の出発点」と文部科学省が示し、教育基本法においても「家庭が子供たちに対して行う教育を尊重し、学校教育と連携して子どもたちの健全な育成をはかる」としている事から、家庭が主で学校がサポート役というのが理想的姿だと感じます。

 

核家族や共働きが増えるなか保護者が求めるものは、長い時間見てくれる場所へとニーズが変化し子供たちに暇を与えないとばかりに、部活動や宿題を増やしていったのではないでしょうか。

 

少し残念なのは核家族や共働きの家庭が多いとはいえ、そうでない家庭が忘れられているようにも感じます。私のように家で仕事ができ、就業時間が決まっていない者にとっては放課後に勉強を見たり、習い事の送迎などはできます。

 

一律に出される宿題は反復学習という意味では良いと思いますが、その子に合った内容かというと、そうでは無いでしょう。やる事が目的となり「宿題は終わった?」「先にやる事やる!」どこの家庭でも言われているのではないでしょうか。

 

フランスは日本と同じ民主主義であり自由、平等、法の支配では同じ理念を持っていますが、考え方は正反対とも言えます。

 

フランスでは1956年から宿題が法律で禁止されているようです。フランス革命の理念が「自由」「平等」「博愛」ですが、その「自由と平等」を侵害するという考えです。

 

学校は公的領域、家庭は私的領域であり、義務教育である公的領域の宿題を家庭の時間にするのは私的時間の侵害と考えられているそうです。バサッと両断するような考え方は少し寂しいような感じもしますが、ステキだと思います。子供も一個人であり私的時間を主張するのは当たり前、そのような考え方もアリでしょう。

 

宿題をしていないお国柄だから教育水準が低いのでは?と思ったがOECD平均のほぼ中央で特段低いわけでもない。

 

と、部活の話にもどり...

 

本来、放課後は私的時間であり、自由に使う事ができるはずです。有料の塾に通わせたり、文化・芸術の習い事もできるはずです。もちろん部活動の良い所もあり、社会性や忍耐力、達成感などは体験させてやりたいとも思います。

 

大人でも転職が当たり前になっている時代で、多様性を尊重し一人一人の子供を大切にすると言いながら「3年間、イヤでも一つの部活を続けなさい」というのは少々ムリが過ぎるのではないでしょうか。多様性を尊重する時代となりつつあるなかで一律で入部の選択肢は、部活動の有り方のコンセンサスがとれているとは言い難いでしょう。

 

部活動は緩い感じで入、退部自由で前向きな帰宅部もOKぐらいにしておくのが丁度よいかとも思います。そうすれば習い事に通いつつ、空いた日は部活動に参加できる。

 

入、退部自由にすると需要のニーズと供給のニーズのミスマッチが出てくるでしょう。あえて出す事によって不人気部は活動を終わり、時代とともにプログラミングなどの新設要望があるものを採用するなど、先生達はそのような集計や調整などが主業務で良いと思います。何も専門性を持たずとも何をするかはチャットGPTに聞いたらよいとも思います。

 

日本では義務教育と私的領域の区分があいまいだと感じます。悪いという意味ではなく誰の責任?と区分に関わらず、問題点を同調し解決しようという社会システムの一部が心理的に組み込まれているのでしょう。一律に何かを課すから一人一人に合うやり方で学校と生徒との調和がとれている状態がステキだと感じます。