才能

このような経験はないだろうか、テストで高得点を得ている友人は勉強している様子がない。多くの場合、見えない所で努力している、となるが本当にそうだろうか?
おそらく、勉強のできる子は、勉強の仕方(コツ)を得ているのではないだろうか。黒板に引かれた下線、なんで2回言ったのだろう?、文法上のしつこさ、前年同期に行われたテストからの傾向や”流れ、先生のクセを感じ少ない時間で最大のパフォーマンスを出しているのだと思う。
子供も一人の人間として自由な時間を過ごしたいはずだ。勉強していたら安心というのは親のエゴを押し付けているようにも感じる。長時間勉強するのに意味はあるのだろうか?「勉強しなさい!」と言うのは簡単だ、ところが子供の勉強の仕方を評価してやった事はあるだろうか?どうしてその順番?、どうしてそこを重点的にしているの?
詰め込み式の勉強ではなく、仕方・コツ・勉強の”才能”を評価してやるのが良いのではないだろうか。
才能というのは全ての人に何かしらあると思う。本人も気づいていない場合もあるだろう。才能に気づくタイミングというのは得意な事をしていたり、無心になったり、時間も忘れてやっている事が多い。その領域がその人にとって最大のパフォーマンスを出せる領域だ。
教育・就業の歪み
ところが、教育では偏差値が重視され、不得意な領域を歯を食いしばりツライ事を押し付けている。得意な分野を伸ばす方が本人にとっても社会にとってもハッピーになるはずだが。
ノーベル賞受賞者、スポーツ選手、俳優、職人、教授など、社会で活躍するヒトは特定の分野で抜群のパフォーマンスを発揮する。
だが偏差値がどれほど高くても絶賛される事はない。「それであなたは何が出来るんですか?」となるだろう。
就業では、経験年数が長いという理由だけで管理職になる場合が多い。現場と管理職は全く違う職種だ。これも不得意な領域に無理やり押し付けて、会社全体としてのパフォーマンスを下げている。
だが今の日本社会には多様な人材の受け皿がある。力仕事が得意な人、頭を使う仕事、細かい作業の仕事、文章を書く仕事、歌う仕事。
自分の得意と、必要とする場所が気付かないうちに近づき、遠去かっている。そのタイミングをつかむ事が出来れば最大のパフォーマンスを出せる居心地の良い場所を見つける事ができるだろう。
リンク「晩餐歌」は中学3年生だが、Streaming SongsでYOASOBIやAdoなどの大物を押しのけチャート上位に張り付く。たまたま彼女は歌だが、それぞれの得意を表現できる場所はいたる所にあるだろう。
才能と場所が繋がった瞬間だ!

 

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