社会規範とボランティア活動

私はよく遊園地などで「写真を撮ってもらえますか?」と言われる事が多い。

 

言いやすい様相なのかはわからないが、高価なカメラやスマホを他人に委ねるということは、ある程度の安心感があるのかもしれない。私が撮ってもらう立場ならチャラい人よりは落ち着いた人を選ぶだろう。

 

快く3枚ほど撮りカメラを返し、二度と会わない見ず知らずの人だが役に立つと気分がよくなるものだ。

 

仮に「100円あげるから撮ってもらえますか?」と言われても受け取らないだろう。気持ちが悪い。無償だから良いのだ。

 

無償でも気持ちがよいと感じたのは、社会規範が適用されたのだろう。ダン・アリエリー「予想どおりに不合理」の本で詳しく書かれてた。市場規範では金銭的価値で判断され、社会規範では金銭を目的とせず同調し行動する。無意識のうちに選択しているのだと。

 

気分よく写真が撮れたのは、要求がシンプルかつ短時間だからではないだとうか?

 

見返りを求めず、働くという点ではボランティアと同じだろう。近年では様々なボランティアの停滞が問題となっている。私の所属する八雲神社の氏子も同様だ。では氏子の仕事はシンプルかというとそうではない。だいたい数年かけて徐々に全体の流れが分かってくる。

 

おそらく、課題はシンプルにすること

 

文部科学省の調査によるとボランティア活動に興味がある人は8割以上に上るという。一方で様々なボランティア団体は参加率の低さに頭を悩ませている。

 

興味がある人が多いにもかかわらず、受け側とのマッチング不足になっている。参加できない理由とし最も多いのが「時間がない」「情報がない」が上げられている。

 

時間軸と情報を少し工夫すると参加率も上がるのではないだろうか?例えば、浜掃除は好きな時間に10個のゴミを事務所まで持参して下さい。ゴミの処分は主催者でします。など少し今風というかタイムフリーで気軽に参加できるものも良い。

 

公共道路の草刈りなんかもゴミ袋一杯を千円程度で引き受けたら、そこらじゅうの道路がキレイになったりして、とにかくシンプルにしていく事が大切だろう。